こんにちは☆
恋愛・心理カウンセラーの tama です(^ ^)
今回は
比較してしまう罠
について説明したいと思います。
※この記事はnature時代の記事をアップしています
比較という罠
私たちが持っている無価値感
それは、人との比較から起こることもすごく多いんです。
「あの子よりも可愛くない」
「あの子の方がオシャレ」
「あいつの方が稼いでいる」
「あいつの方がいいスーツ着ている」
「周りと比べて勉強ができない」
「周りと比べて仕事ができない」
こんな風に感じたことは誰もがあると思います。
そして、自己嫌悪に陥ってしまう・・なんてことはないでしょうか。
多くの人は、「自分の苦手なこと」と「相手の得意なこと」を比べていて、「自分の得意なこと」と「相手の得意なこと」を比べていないんですね。
相手の得意なことと自分の苦手なことを比べたら、必ず相手に分があることは決まっていますよね。
でも、無価値感や自己嫌悪が強い方は、つい、これをやっちゃうんです。
そして、「自分はダメなんだ・・」と引きこもってしまうタイプか、
「(お前よりも自分は)こんなこともできる!!」と当てつけするか、
これ見よがしにできることを主張するタイプかに分かれます。
比較の罠にはまってしまっているんですね。
比較の根本的な意味
比較というのは、簡単にいうと相対性でしかなくて2つの違いをただ認識するための手段でしかないんです。
そこには、良いも悪いもない。
単なる「違い」でしかありません。
オレンジとレモンを比較して、どっちが優れているか?なんて思わないでしょう。
どっちが好きか?は個人の好き嫌いとしてあるかもしれませんが、オレンジの方がレモンより甘いから優れている、なんて思わないですよね。
でも、私たちはこれを他人との比較で普段やっちゃっています。
「良い」「悪い」 を意味づけをしているのは私たちなんですよね。
もし、あなたが誰かと比較しても自己嫌悪・自己攻撃に陥らず、「単なる違い」として受け取ることができれば、あなたの人生はもっと楽になるでしょう。
「単なる違い」なので、もし、誰かのいい部分をあなたが欲しいと願うならば、その違いを埋めるための努力をするようになっていくんですね。
例えば・・・
みんなが集まる場にあなたが行ったとしましょう。
すると、すごく美人でオシャレなA子さんがいました。
あなたはA子さんを見て、なぜか自分がイケていないように感じました。
なぜだか自分に自信がなくなってしまったのです。
そして、気分が落ち込み、集まりも楽しめず、余計に沈んでしまうんですね。
そして、昔あった同じような嫌な出来事を思い出すんです。
「そういえば、あの時もあーだった・・、この時もあーだったな・・、なんて自分はダメなんだろう」
これが自己嫌悪や無価値感のひどい人の考え方です。
でも、比較の罠にはまらないでほしいのです。
あなたがA子さんを
「オシャレでステキだな」
って感じていることを受け取ってほしいんです。
オシャレに関心がない人はオシャレな人を見ても、その人が「オシャレ」とすらわからないんです。
つまり、その人をオシャレでステキと思うなら、あなたの中にも、オシャレのセンスがある☆ということなんです。
あなたが「どうせ自分は・・」という自己嫌悪に陥らず、
「A子さんステキだな、あんな風になりたいな~」
と「好き♡アンテナ」を発動させれば、自動的にあんな風になるためにはどうしたらいいんだろう?と考えるようになるんですね。
そして、更なるポイントは、ステキだな、いいなと思う人に対して、その人の良いなと思う部分を
褒めること
なんですね。
すると自己嫌悪に陥らず、相手のステキ要素を受け取れます。
「褒めること」はなんだか恥ずかしく思っちゃう方もいますが、あなたの素直な気持ちを伝えたら、褒められた方も嬉しく思えて、あなたを好意的に思うんですね。
ぜひチャレンジしてみてください^^
比較が生まれる背景
比較の背景には必ず、「競争」が隠れています。
特に、現代は競争社会なので、幼稚園から小学校、中学校、高校、大学、社会にでるまで、、
そして、社会に出てからも、常に競争という中に私たちはいるといっても過言ではないと思います。
競争社会の中で、私たちは「負け組」、「自分は他人よりも劣っている」と感じてしまうんです。
でも、この根本的なルーツは、実は家族の中で作られるんです。
「兄妹の中で、お兄ちゃんやお姉ちゃんと比較して私は勉強も運動もできない・・」
「お母さんは、お兄ちゃんばかり可愛がるし、よく褒める・・
それに比べて私は自分の気持ちをうまく言えなくて、お母さんからよく怒られる・・」
「お母さんはキレイで料理ができて仕事もできて、家事も完璧。それに比べて私は・・」
など、兄弟姉妹の中での比較だったり、両親・・特に同性の親との比較がルーツにあるんです。
そして、その比較の裏には、
だから、私は愛されないんだ・・
という想いが必ずあります。
だけれど、その多くは誤解です。
私たちは子どもの頃、感情のかたまりで、理性が発達していません。
例えば、子どもが
「お母さーん、遊んで~!」
と台所でご飯を用意しているお母さんに抱きついたときに、お母さんがそっけなく、
「はいはい、後でね。今は大人しくテレビ見てて」
と言ったとしましょう。これですら、
「お母さん、私がいい子じゃないから遊んでくれないんだ・・」
と、子供にとってはすごくショックな出来事になるんです。
大人になった私たちはお母さんがそんなつもりで言ったつもりじゃないことも理解できます。
だけど、子どものうちは理解できないので、
悲しかった、愛されなかった感覚
だけが残るんですね。
そうして、私たちは
「いい子じゃないと愛されない」
と思い、愛されるために「いい子」になろうと努力します。
私たちの中には、そうした多くの矛盾や誤解がいっぱいあるんです。
そして、それらは潜在意識や無意識の中にいっぱい眠っています。
そうした誤解を「本当はそうじゃないんだよ、誤解なんだよ」と今の大人になった私たちに感覚として理解させるのが、心理療法(セラピー)です。
そうして、あらゆる心の傷を癒していくことで、心が楽になったり、誤解だったと心で理解することができるので、現実的に今まで難しかったことが楽にできたりするようになります
(心と思考は全く別物だからです)。
よく、これを
心のサイドブレーキを降ろす
なんて表現します。
私たちがやりたくてもできないことは、「心のサイドブレーキが上がったままになっている」ことが多いのです。
なので、カウンセリングでは、何が問題となっているか心理分析していき、セラピーで感情や感覚にアプローチし、サイドブレーキを下していったりします。
思考で感じていることと、心で感じていることは別物だからです。
やりたくてもやれないと感じる時・・あなたの心のサイドブレーキが上がっているのかもしれません。
比較してしまうの背景には、家族関係からくる競争があるよ、というお話でした。
子どもの頃に積み重なってしまった競争による痛みを癒すことができたら、あなたの人生は比較の罠から抜け出し、もっと楽に生きられるかもしれませんね。
最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました^^
あなたの心が穏やかで幸せでありますように☆
いつも応援しています♡
心理カウンセラー tama